信州から出発 諏訪を歩く

5月の連休に軽井沢
9月からは車山高原

5か月を過ごした信州を10月9日に発つ
車山で感じたのは「出発」という言葉

佐久に出て新幹線で大宮に向かうか
茅野から中央線で都心に向かうか

若人の友が車で送ってくれるというので
山の上から下諏訪に出る

久しぶりのラーメンを食した後は下社秋宮へ
友とはここで別れを告げて萬福の中でまどろむ

熱い温泉を出す御手洗の龍
その前のベンチで1時間は過ごしただろうか

「お疲れさま」「いろいろ感じたようですね」と
諏訪の龍が優しく微笑んでいた
空は晴れ、社殿もいつものように明るい

ありがとうございました

下社秋宮から春宮までゆっくり歩く
台風が去って洗い流されたためだろうか

この日は夕刻近くになっても明るい

浮島の払戸の神
清らかな霧ヶ峰の山の気、水の気を感じる

春宮は諏訪湖に流れ込む砥川
水神の力を守る宮

下社主祭神の八坂刀売(やさかとめ)の命
水や船と縁の深い海神族の出という説もある

不要な迷いや邪念を払って旅立ちの準備完了

信州を出る前に、もう一度
万治の石仏へ

空を見上げると青空に女神
手のひらを空に向け、万人を受け入れる

如来さまかもしれないな
そんなことを想って石仏を撮影

石の中に浮き出したレリーフ
頭は大きな石の上に乗っているだけなのか

岡本太郎氏のいうように安らぎを感じる
全体の形、表情

刈り入れも終わり、干したばかりの稲穂の連
秋の実りの阿弥陀如来かな

流れる川も清らかなり

春宮からのんびり歩いて諏訪湖まで
夕焼けに染まりはじめた湖上の雲

二つの力が合体したような印の形
男と女か 天と地か

水鏡も茜に揺らぎはじめた
穏やかな諏訪の湖

ここから遊歩道を上諏訪駅まで
ぐるりと半周近く歩いて諏訪湖を満喫

この日の夜、信州を発ち
八王子で一泊することになる

奥蓼科 横谷渓谷の王滝

台風24号の数日後、息子よりも若い男子
二十歳まじかの若者たちと奥蓼科へ

何度か車山のリフトで頂上に登った仲間
「また頂上に行きましょうよ」という誘い

車に同乗して近くの駐車場まで行く途中
「やっぱり奥蓼科で滝でしょう」とわがままな私

「・・・えっ」
「・・・え~」
「・・・滝ですか」

茅野の里まで下りてまた別の道を登る
みんな結構遠いなと思いながらも車は坂を走る

ようやく奥蓼科温泉郷の看板
東山魁夷の白馬の湖「御射鹿池」

そこから王滝へ山道を抜ける
メルヘン街道から駐車場へ入ると歩いて展望台まで

大滝神社にご挨拶
ところが参道の階段には3本の倒木

慎重に乗り越えると黒曜石の祠
旧石器時代から八ヶ岳周辺には人が暮らした

その象徴として近年つくられた原石の神社

展望台から奥蓼科の横谷渓谷を臨む
山は紅葉の始まり 遠くの里は茅野の街

さらに先には御岳山

旧石器時代、さらに時代が進んで縄文の時代
生活の必需だった上質の黒曜石の産地は近い

家族や仲間を支え
各地の産品と交換された最古の貿易品

蓼科、八ヶ岳の渓谷には豊かな森と水
黒紫に輝く黒曜はこの地を守る

王滝を眺めながら自然の不思議に浸る

若い男子は坂を下る途中からシャツを脱ぎだした
上半身裸のまま滝のそばで時を遊ぶ

マイナスイオンを全身に浴びて自由な姿に

一万年も前から若人は無邪気に帰っていた
その傍らで年を重ねたオジサンは笑う

君たちに未来を感じながら
楽しい時に感謝

男の子たちと冒険に出るのは嬉しい

諏訪大社 太古の調和 (下社)

諏訪大社の中で下社秋宮が一番好き
おおらかさ、優しさ、そして愛を感じる

諏訪湖をのぞみ、間口も広い
多くのものを受け入れ調和をもたらす

鳥居の横には八幡宮と恵比寿様
出雲大社や美保社との縁も深い

長い年月をかけて縄文と出雲が融和

タケミナカタ神の母にあたる奴奈川姫(上越)
その子孫も大切に祀られる

ヒスイの里、糸魚川から北信を越えると
霧ヶ峰の水の精、山の精、風の精

下社の祈りはそこに捧げられ
女神的な調和は諏訪湖に流れ込む

優しく、時に激しく波打ち
男性的な上社の力と結びつく

冬の諏訪湖の神渡り
強き愛の形を氷の姿に現す

青空の中に手植えの白松
白龍のような清き宮

諏訪大社 下社春宮
拝殿の中心には一本の杉の神木

神木を祈ることで天地につながり
秋宮と同様に霧ヶ峰の女神につながる

赤い橋を渡ると中州に払い戸の神
身を清めるとともに水神を鎮める

さらに橋を越えると万治の石仏
万を治める阿弥陀如来

岡本太郎も称賛した芸術的像
願いだけでなく感謝をささげたい

秋宮に比べて女性的な強さを放つ

この日は夕刻になってしまった秋
桜咲く明るい春にまた訪れてみたい宮

春宮を後にして諏訪湖
湖面に映る秋の空

青の橋げた
競技用のボートが湖岸に休んでいた